和久傳を知る
About

人でしかできないことを、
人の手でつくり、伝えたい。

紫野和久傳は、食文化を通じて
未来を創る会社です。

和久傳を動かしているのは、
熱と仕組みの両輪。
一人の一歩よりも、百人の一歩。ただ、和久傳は個性を大事にしており、一人で百歩行く人も出てきます。それを僻むのではなく、「おめでとう!」と言える人間性を持った人の集まりが和久傳です。自らが努力を重ね、仲間に感謝しているからこそ人を素直に祝福でき、感謝の多い人ほど伸び、伸びた人はまた感謝をする。この好循環を生み出しているのは、「いい人」を育てたいという教える側の「熱」と、それを具現化する充実の「仕組み」です。これからも一人の百歩を純粋に喜べる集団でいられるよう、人づくりに力を注いでまいります。

和久傳ものがたり

はじまりは丹後峰山の町
明治3年(1870年)、丹後峰山町で和久屋傳衛門が始めた旅館。それが、今日の和久傳グループのはじまりであり、名前の由来です。同地方は江戸時代から丹後ちりめんで栄え、和久傳は京都などから訪れる商人たちの宿屋、会合の場などとして用いられ、峰山が誇る老舖料理旅館として100年以上も続きました。やがて、ちりめん産業の陰りに伴い、街中の旅館から山の麓へと移転。敷地3000坪に客室7部屋という贅沢な旅館へとリニューアルしました。
京都東山、高台寺の門前にて
京都市内、現在の「高台寺和久傳」に移転したのは昭和57年のことです。もとは日本舞踊の尾上流の家元の住まいで当時は旅館として使われていた建物は、数寄屋建築の名工として知られる中村外二氏によって昭和20年に建てられた名建築。京料理の老舖が活況を呈するこの場所で、和久傳は新たな産声を上げました。
おもたせのお店「紫野和久傳」
「不易流行」。この言葉は今日の和久傳の歩みのひとつの指針で、本質を変えることなく時代に応じて業態を変化させるということです。和久傳はこの考え方に基づき、料亭の味を「おもたせ」としてお持ち帰りしていただくお店「紫野和久傳」をスタートしました。料亭の本格的な味をそのままご家庭で召し上がっていただく。その発想は食の多様化が進む時代と相応して人気を博し、東京や名古屋などの有名デパートにも店舗を出店しています。現在は株式会社高台寺和久傳が料亭「高台寺和久傳」「京都和久傳」「室町和久傳」の運営を、株式会社紫野和久傳がおもたせと「はしたて」の店舗の運営を行っています。
故郷、丹後峰山でふたたび
料亭、おもたせのお店の次に取り組んでいるたのが、和久傳の発祥の地である丹後への恩返しの意味を込めた地域活性化事業です。丹後久美浜町の「和久傳ノ森」では、更地だった土地に、地域のみなさんとともに56種3万本の植樹を行ってきました。敷地内には物販商品の工房や「森の中の家 安野光雅館」、工房レストラン「wakuden MORI」もオープン。和久傳ノ森は今後も成長を続けていきます。

沿革

1870年
現在の京都府京丹後市峰山町にて「和久傳旅館」創業
1968年
3000坪に7部屋の料理旅館に建て替え、泊食分離の「峰山和久傳」を開店
1982年
京都市内に進出。料亭「高台寺和久傳」開店
1990年
「室町和久傳」開店
1996年
「紫野和久傳(現在の大徳寺店)」開店
1997年
「ジェイアール京都伊勢丹店」「京都和久傳」開店
1998年
「松屋銀座店」開店
1999年
「伊勢丹新宿店」開店
2003年
「株式会社紫野和久傳」を設立(「紫野和久傳(現在の大徳寺店)」「ジェイアール京都伊勢丹店」、東京「松屋銀座店」「伊勢丹新宿店」の4店舗を継承)
東京「丸の内店」開店
2005年
智惠光院工房を設立
「堺町店」開店
2007年
和久傳ノ森第1回植樹祭を開催
2008年
和久傳ノ森に紫野和久傳久美浜工房を設立
京都駅「はしたて」開店
2012年
和久傳ノ森5周年植樹祭を開催
2013年
名古屋「松坂屋名古屋店」開店
2015年
和久傳ノ森に紫野和久傳久美浜第二工房を設立
2017年
和久傳ノ森に「森の中の家 安野光雅館」開館、工房レストラン「wakuden MORI」開店

組織

智惠光院工房
久美浜工房
料理部門
販売部門
茶菓席
茶菓席
松坂屋名古屋店
玉川高島屋S・C店
松屋銀座店
伊勢丹新宿店
丸の内店
ジェイアール京都伊勢丹店
堺町店
大徳寺店
製造部門
株式会社紫野和久傳
和久傳組織
料亭(高台寺和久傳 / 京都和久傳 / 室町和久傳)は株式会社高台寺和久傳が運営しています。